2010年09月30日
『ラインの守り』詳報その2
続きです。

雪原を出撃地点まで移動中の我がSS第1分隊。
分隊長、機銃班3人と小銃班4人の計8人で、後期型分隊編成の定数を満たしています。
今回は小銃班班長を任され、後ろに続く3人のSS二等兵と行動を共にしました。
初日のSS部隊は二分隊編成でしたが、二日目、消耗した第2分隊は第1分隊に吸収されてしまいました(笑)。
移動中に『エリカ』を歌いましたが、雪上の歩調とリズムが合わず、うまく歌えませんでした・・・。

出撃地点まで移動中のロレーヌ・シュレッパー対戦車自走砲と国防軍。
こう配のある雪道のため移動速度が大変遅く、途中で遺棄されてしまいました。
しかし攻撃には参加、今回兵力の少なかった国防軍の貴重な戦力となったようです。
写真後方にSS部隊も見えますね。
<つづく>

雪原を出撃地点まで移動中の我がSS第1分隊。
分隊長、機銃班3人と小銃班4人の計8人で、後期型分隊編成の定数を満たしています。
今回は小銃班班長を任され、後ろに続く3人のSS二等兵と行動を共にしました。
初日のSS部隊は二分隊編成でしたが、二日目、消耗した第2分隊は第1分隊に吸収されてしまいました(笑)。
移動中に『エリカ』を歌いましたが、雪上の歩調とリズムが合わず、うまく歌えませんでした・・・。

出撃地点まで移動中のロレーヌ・シュレッパー対戦車自走砲と国防軍。
こう配のある雪道のため移動速度が大変遅く、途中で遺棄されてしまいました。
しかし攻撃には参加、今回兵力の少なかった国防軍の貴重な戦力となったようです。
写真後方にSS部隊も見えますね。
<つづく>
2010年09月29日
『ラインの守り』詳報その1
今日から5回に分けて、2005年に本栖ハイランドで行なわれたUSARさんのリエナクトメント・イベント『ラインの守り』を紹介します。
以下の文面はイベント直後、遠方に住むサバイバル・ゲームを通じての友人に宛てたメールに若干の修正を加えたものです。
まだ初心者であったため、かなりウキウキ興奮して書いており、自分ながら微笑ましく感じてしまいます(笑)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2月5〜6日に行われたリエナクトメント『ラインの守り』の戦闘詳報をお送りします。
適度な積雪と晴天に恵まれ、最高のイベントを体験する事ができました。

作戦前に攻略目標のビュリンゲンにて記念撮影。
カメラード製SSM40野戦服上下に、イタリア迷彩のオーバーパンツを着用。
『バストーニュ戦』で叙勲を受けた二級鉄十字章のリボンと、『カランタン2』の歩兵突撃章を付けています。
さらに、カランタン戦終了時、「公式に」(笑)昇進したため、左袖には一等兵の階級章が。
今回はSS第12装甲擲弾兵師団隷下、SS第25装甲擲弾兵連隊、SS一等兵(SS上級擲弾兵)としての従軍・・・という設定です。

出撃前に国防軍大佐より、訓示を受けるドイツ軍部隊。
「ルントシュテット元帥からの通達を伝える・・・西部戦線の将兵諸君!決戦の時は今だ!今しかないのだ!・・・」
最高に高揚する一瞬。
この前に、号令やハンドシグナルといった部隊行動に関する練習があり、見本を勤めました。
また、中隊長より、兵士一人一人に手紙や小包が配られるという、心憎い演出もありました。
今回の軍装です。
ヘルメットを水性塗料で白ペイント。
雪中迷彩服はスウェーデン軍の代用品。
左脇の棒形手榴弾は配給されたボール紙製の安全なもの。
弾薬ポーチにぶら下げている卵形手榴弾は自前のファントム製米軍レモン型を流用したもので、こちらは軟質プラ製。
銃はMP44。
セイフティー内部パーツをプラ板積層で自作、ユニットをマルイM4用に交換して、やっと調子良くなりました。
ブーツは東独のジャックブーツ、ブーツ下はウール靴下を二枚重ねしています。
弾薬箱の中には、バンバン銃3梃と火薬、カメラ、飲み物などが入っています。
<つづく>
以下の文面はイベント直後、遠方に住むサバイバル・ゲームを通じての友人に宛てたメールに若干の修正を加えたものです。
まだ初心者であったため、かなりウキウキ興奮して書いており、自分ながら微笑ましく感じてしまいます(笑)。
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2月5〜6日に行われたリエナクトメント『ラインの守り』の戦闘詳報をお送りします。
適度な積雪と晴天に恵まれ、最高のイベントを体験する事ができました。
作戦前に攻略目標のビュリンゲンにて記念撮影。
カメラード製SSM40野戦服上下に、イタリア迷彩のオーバーパンツを着用。
『バストーニュ戦』で叙勲を受けた二級鉄十字章のリボンと、『カランタン2』の歩兵突撃章を付けています。
さらに、カランタン戦終了時、「公式に」(笑)昇進したため、左袖には一等兵の階級章が。
今回はSS第12装甲擲弾兵師団隷下、SS第25装甲擲弾兵連隊、SS一等兵(SS上級擲弾兵)としての従軍・・・という設定です。
出撃前に国防軍大佐より、訓示を受けるドイツ軍部隊。
「ルントシュテット元帥からの通達を伝える・・・西部戦線の将兵諸君!決戦の時は今だ!今しかないのだ!・・・」
最高に高揚する一瞬。
この前に、号令やハンドシグナルといった部隊行動に関する練習があり、見本を勤めました。
また、中隊長より、兵士一人一人に手紙や小包が配られるという、心憎い演出もありました。

ヘルメットを水性塗料で白ペイント。
雪中迷彩服はスウェーデン軍の代用品。
左脇の棒形手榴弾は配給されたボール紙製の安全なもの。
弾薬ポーチにぶら下げている卵形手榴弾は自前のファントム製米軍レモン型を流用したもので、こちらは軟質プラ製。
銃はMP44。
セイフティー内部パーツをプラ板積層で自作、ユニットをマルイM4用に交換して、やっと調子良くなりました。
ブーツは東独のジャックブーツ、ブーツ下はウール靴下を二枚重ねしています。
弾薬箱の中には、バンバン銃3梃と火薬、カメラ、飲み物などが入っています。
<つづく>
2010年09月23日
投げ用手榴弾。
通常のサバイバル・ゲームでは手榴弾を使える場合は少ないですが、ヒストリカル・ゲームおよびリエナクトメントでは使用可能な場合がほとんどです。
ただ、金属製や木製では危険なので、軽い素材で出来た手榴弾が必要になります。
で、自分ででっち上げたのが写真右側の棒形手榴弾です。
素材はビタミン剤(ネイチャーメイド)のプラビン、ラップの紙の芯、木目調の壁紙、ガムテープ、オリーブドラブのスプレー塗料です。
投げても安全で、まず壊れません。また、廃物利用なので、紛失してもあまり痛くないので、重宝しています。
ちなみに左の手榴弾は旧LS製の物を、柄を木製にしたり、弾頭部にプラキャストを流し込んだりして、グレードアップした物です。
こちらは重いので、投げると非常に危険です(笑)。
真夏の開催だったので、サムズさんのHBT野戦服上下を着用。帽子はシュミットさんのM34舟形帽をかぶっています。
胸に下げている左右の手榴弾袋には、上記の投げ用手榴弾が計6本入っています。
手榴弾の使用は大変面白く、また戦闘において大きな効果があります。
1個分隊が1発の手榴弾で全滅なんて言うシーンも過去には何回かありました。
ヴィレッジ1さんの塹壕網などは実に手榴弾向きです。
塹壕伝いに手榴弾を投げながら攻め上った時は、非常に興奮したものです♪
2010年09月16日
思いがけなく・・・
格好良く撮れてしまった1枚。

冬の御殿場で撮影。
野営で朝を迎え、寒い中テントから出てみてみると、ドイツ軍仲間の所有するMG42に霜が付いていました。
面白いので何気なく写真に撮りましたが、後でトリミングしてモノクロ化すると、妙に格好良く思えました。
<業務連絡>残念ながら諸事情でVショーに参加出来なくなりました。参加される皆様、どうか楽しんで来てくださいませ。
また、更新スピードも落ちると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
冬の御殿場で撮影。
野営で朝を迎え、寒い中テントから出てみてみると、ドイツ軍仲間の所有するMG42に霜が付いていました。
面白いので何気なく写真に撮りましたが、後でトリミングしてモノクロ化すると、妙に格好良く思えました。
<業務連絡>残念ながら諸事情でVショーに参加出来なくなりました。参加される皆様、どうか楽しんで来てくださいませ。
また、更新スピードも落ちると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
2010年09月15日
『ベルリン攻防戦』
今回は2007年、群馬県の廃工場にて行なわれた「1/1の会」さん主催のヒストリカルゲーム『ベルリン攻防戦』を紹介します。
ドイツ軍で市街戦を行なえると言う貴重な機会だったため、仲間内で大いに盛り上がり、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」装甲擲弾兵連隊「ダンマルク」で揃えて行く事になりました。

「総統が自決した!」この知らせに我々ダンマルク連隊の生き残りはベルリン脱出を決意。脱出作戦を開始します。
中央振り向いているのが自分。突撃銃の弾薬は使い果たし、拳銃と手榴弾のみで戦闘を継続しています。
その右にいるのが中隊長。省力型突撃銃VG1-5を使用中です。
このVG1-5は中隊長のスクラッチビルドで、機関部にはガス式セミオート機構を内蔵しているそうです。

「祖国デンマークに帰るぞ!」これを合い言葉に猛然と前進。
ついにはソ連軍拠点に手榴弾をぶち込んで包囲網を突破する事に成功しました。
満身創痍ながらも意気揚々と祖国を目指すダンマルク連隊。


左:SSシャールフューラーの分隊長で参加しました。スウェーデン軍の野戦服改造のSSM42風野戦服とスウェーデン軍の代用パンツを着用。
右襟章はSSノルトラント師団固有の「ゾンダーラート」(車輪状の卍)、袖にはデンマーク国章と「ダンマルク」のカフタイトルを付けています。
これら襟章などは中隊長がハンドメイドで用意してくださいました。フィーレンダンク!
左手に持っている新型パンツァーファウストも中隊長のスクラッチビルドです。
右:SSアドラー章とデンマークシールド章。
廃工場での戦闘は大変ワクワクして楽しいものでした。「1/1の会」さんには、可能であれば是非またやってもらいたい企画です。
*写真はクローゼさんに頂いた物です。有り難うございました。
ドイツ軍で市街戦を行なえると言う貴重な機会だったため、仲間内で大いに盛り上がり、第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」装甲擲弾兵連隊「ダンマルク」で揃えて行く事になりました。
「総統が自決した!」この知らせに我々ダンマルク連隊の生き残りはベルリン脱出を決意。脱出作戦を開始します。
中央振り向いているのが自分。突撃銃の弾薬は使い果たし、拳銃と手榴弾のみで戦闘を継続しています。
その右にいるのが中隊長。省力型突撃銃VG1-5を使用中です。
このVG1-5は中隊長のスクラッチビルドで、機関部にはガス式セミオート機構を内蔵しているそうです。
「祖国デンマークに帰るぞ!」これを合い言葉に猛然と前進。
ついにはソ連軍拠点に手榴弾をぶち込んで包囲網を突破する事に成功しました。
満身創痍ながらも意気揚々と祖国を目指すダンマルク連隊。
左:SSシャールフューラーの分隊長で参加しました。スウェーデン軍の野戦服改造のSSM42風野戦服とスウェーデン軍の代用パンツを着用。
右襟章はSSノルトラント師団固有の「ゾンダーラート」(車輪状の卍)、袖にはデンマーク国章と「ダンマルク」のカフタイトルを付けています。
これら襟章などは中隊長がハンドメイドで用意してくださいました。フィーレンダンク!
左手に持っている新型パンツァーファウストも中隊長のスクラッチビルドです。
右:SSアドラー章とデンマークシールド章。
廃工場での戦闘は大変ワクワクして楽しいものでした。「1/1の会」さんには、可能であれば是非またやってもらいたい企画です。
*写真はクローゼさんに頂いた物です。有り難うございました。
2010年09月14日
『意志の勝利』

ちょっと前になりますが、ナチスのプロパガンダ映画『意志の勝利』のDVDが発売されました。
この本もほぼ同時期の発売です。
この本には付録として『意志の勝利』のDVDが付いていて、なんと!単体のDVDよりなぜか安いのです!
業界的には掟破りな感じですが良かったのでしょうかねぇ・・・。
『意志の勝利』はNSDAP全盛時の記録なので、党幹部の実にイキイキとした姿を見られます。
パレードや式典には一糸乱れぬ統一感があるだろうと思っていましたが、案外手作り感が見え隠れして、ほほえましく感じたりもします(ヒムラー君、歩調が合ってないぞ!とか)。
個人的に一番の見所と感じたのは「ライプシュタンダルテSSアドルフ・ヒトラー」の行進シーンですね。
軍楽隊が『バーデンヴァイラー』を演奏しながら現れてからの一連の流れは、やはり見事です。
冒頭、党大会の舞台となったニュルンベルクの街並を空撮でとらえた映像が出て来ますが、これが正にまるで中世にタイムスリップしたかのような風景です。
モノクロですが鮮明な映像なので、ここも貴重なシーンでしょうね。
党関係には正直興味がないのですが、当時の空気を感じるには良い映像資料かなと思いました。
2010年09月13日
ドイツ軍大テント。
ドイツ軍のポンチョ兼テント「ツェルトバーン」24枚を使用した大テントです。
石川県のカルミン・フィールドで行なわれたWW2倶楽部主催の大戦イベントで、ヴェスナー曹長さんが中心となりドイツ軍仲間が協力して建てたものです。
ツェルトバーンはかぶる事によって雨具、組み合わせる事によってテントや応急の担架などにもなる、優れたドイツ軍装備です。
テントとして利用する場合は、1枚で1人用の雨よけ、2枚で2人用のテント、4枚で4人用のテントになるので、24枚使用ならば24人用、半個小隊用のテントという事になります。
この大テントに10人程で宿泊しましたので、大変快適に過ごす事が出来ました。
写真のツェルトバーンは陸軍用で迷彩柄はいわゆる「スプリンターパターン」ですね。
レプリカに混じって貴重な実物も混じっているようです。
大戦イベントに参加する時は、このツェルトが1枚でもあると良いですね。
持ち寄ったツェルトを組み合わせてテントを建て、参加者同士で一つ屋根の下、野営する・・・こんな楽しみ方が出来ますので♪
2010年09月12日
『ヒスサバ』イラスト。

以前、和歌山で開催されていた大戦イベント『ヒスサバウエスト』の主催者さんからお話をいただき、告知用に描いたイラストです。
左上から、製パン中隊のドイツ兵、日本軍歩兵、トカレフを手にするソ連軍歩兵科将校、パラシュート降下する独降下猟兵(小さいですが、ドイツ軍独自の落下傘方式にしてあります)、ヘッツァーに乗る対戦車猟兵、バズーカを構えるアメリカ兵、ステンを構えるイギリス空挺隊員です。
本当はドイツ軍が好きだから前面に出したいのですが、「えこひいき」になってしまうのであえて我慢してみました(笑)。
*お仕事として、イラストの受注制作が可能です。
出版社、メーカー、ショップ、広告代理店などの皆々様、ご興味がありましたら、コメント欄に書き込みをしてください。よろしくお願い致します。
2010年09月12日
やっぱり雪中迷彩が好き。
雪で覆われた森林地帯や平原を、白色の迷彩服をまとったドイツ兵が進撃して行く。
このシチュエーション・・・積雪と雪中迷彩服は大好きな組み合わせです。
積雪がイベント当日にあるには多少の運も必要なのですが、今まで何度かこの状況が実現しています。

USARさん主催の『ラインの守り』('05)にて。
リエナクトメントへは3回めの参加で、階級はSS一等兵。まだまだ装備が不足している頃でした。
スウェーデン軍の雪中迷彩衣を代用品として着用。
ヘルメットはサムズミリタリ屋さんのプラ製ヘルメット(中田商店さんで売られていたヘルメットをライナーを交換するなどグレードアップ)を水溶性塗料で白色に仕上げた物。
パンツはイタリア軍迷彩パンツの代用品。銃は松栄製電動MP44.
こちらはスウェーデン軍雪中迷彩衣のパンツを新たに購入して、上下で着用した時のもの。
ヘルメットカバー、上着、ズボンを3つ全て白色にするよりも、積雪状況や場所に応じて1〜2つを白色とした方が効果が高いようです。
御殿場で行なわれたHGGプレイベント『バストーニュ戦』('09)においてで、部隊設定は「ヒトラー・ユーゲント」師団、階級はSSシャールフューラーで分隊長をやらせて頂きました。
代用品のスウェーデン軍の雪中迷彩服上着は楽天市場の「シービーズ」というサープラス屋さんで購入。
現在同タイプは売り切れのようですが、丈の長いタイプは在庫があるようです。
パンツの方はアメリカのショップ、「AT THE FRONT」から取り寄せました。
またサムズミリタリ屋さんでは、ドイツ軍の雪中迷彩服のレプリカを製作販売されています。
*写真を提供してくださった方々、有り難うございました。
このシチュエーション・・・積雪と雪中迷彩服は大好きな組み合わせです。
積雪がイベント当日にあるには多少の運も必要なのですが、今まで何度かこの状況が実現しています。

USARさん主催の『ラインの守り』('05)にて。
リエナクトメントへは3回めの参加で、階級はSS一等兵。まだまだ装備が不足している頃でした。
スウェーデン軍の雪中迷彩衣を代用品として着用。
ヘルメットはサムズミリタリ屋さんのプラ製ヘルメット(中田商店さんで売られていたヘルメットをライナーを交換するなどグレードアップ)を水溶性塗料で白色に仕上げた物。
パンツはイタリア軍迷彩パンツの代用品。銃は松栄製電動MP44.

ヘルメットカバー、上着、ズボンを3つ全て白色にするよりも、積雪状況や場所に応じて1〜2つを白色とした方が効果が高いようです。
御殿場で行なわれたHGGプレイベント『バストーニュ戦』('09)においてで、部隊設定は「ヒトラー・ユーゲント」師団、階級はSSシャールフューラーで分隊長をやらせて頂きました。
代用品のスウェーデン軍の雪中迷彩服上着は楽天市場の「シービーズ」というサープラス屋さんで購入。
現在同タイプは売り切れのようですが、丈の長いタイプは在庫があるようです。
パンツの方はアメリカのショップ、「AT THE FRONT」から取り寄せました。
またサムズミリタリ屋さんでは、ドイツ軍の雪中迷彩服のレプリカを製作販売されています。
*写真を提供してくださった方々、有り難うございました。
2010年09月11日
戦争映画バルジ物2作。

廉価版が出ていたので、今さらながら買ってみた2本。
『バルジ大作戦』
ハリウッド製娯楽作品ではありますが、バルジ戦に実際参加した陸軍第2戦車師団のマインラート・フォン・ラウヒェルト大佐がアドバイザーとして参加し、俳優陣にもへスラー大佐の従卒、コンラート役のハンス・クリスティアン・ブレヒという東部戦線帰りのヴェテランがいますので、考証的にも侮れないと思います。
実際、へスラー大佐の一連の軍服や柏葉付き騎士鉄十字章、ディーペル少佐(カール・オットー・アルバーティ)がフェルトグラウの車輛搭乗員服(いわゆる突撃砲ジャケット)に装甲擲弾兵の兵科色の肩章を付けていたりと、軍装面ではいい感じです。
また、メイキングも収録されており、ライヒェルト大佐が俳優にナチ式敬礼を教えたり、エキストラにMP40の持ち方を教えているシーンがあります。
敵(かたき)役のへスラー大佐とドイツ軍側の描写は何とも格好良く、それに対して本来主役であるはずの米軍側の描写は実に退屈で冴えないと言う、何とも不思議なアメリカ映画です(笑)。
『大反撃』 *ネタバレありますので注意してください。
昔から何ともスッキリしない作品なのです。
好戦的なファルコナー少佐(バート・ランカスター)の、どう見ても無謀なろう城作戦によって部下たちは意味もなく全滅、歴史的遺産である中世の古城と美術品も犠牲になります。
にもかかわらず、ファルコナーは最後までヒロイックに描かれているのです。
この話を「戦争中毒の指導者によって人の命も文化も失われる。困った事にそういう粗野で好戦的な指導者はいつの時代もヒーローとされるのだ。」と言う内容の「皮肉」であると解釈すれば、あらまぁ不思議!スッキリと納得できてしまいます。
この解釈が正しいかはわかりませんが、正しいとすればちとわかりにくいですね。
へスラー大佐のように「最初は人格者かと思ったが、とんだ戦争中毒者だった。付いて行けましぇん。」みたいにハッキリ描いて欲しかったですね(笑)。
もしかしたら、保守的なアメリカ人の観客や映画会社の重役たち、スター俳優のバート・ランカスターへの遠慮があったのかも知れない、などと想像してしまいます。
ドイツ軍装的にポイントなのはドイツ軍(WSS)の斥侯が山岳スモックの白面を着てることぐらいでしょうか。
2010年09月10日
WW2ドイツ軍徒歩行軍装備。

以前、御殿場で徒歩行軍装備のマネ事をやった時の写真です(Rさんに撮って頂きました。ありがとうございました)。
背嚢はチェコ軍のリネン(麻)製リュックを改造した物、ヘルメットは実物のM40、野戦服はサムズミリタリ屋さんのHBTM42。陸軍歩兵科二等兵です。


後ろから見ると非常にかさ張っていますね。リュックの中身は適当な物を入れてありますが、重かったです。
位置も下過ぎました。重装サスペンダーのDリングをもっと高い位置に持って来ないとダメなようです。
また、行軍装備といいながらスコップや銃剣は付けていませんし、毛布とツェルトバーンをくくり付け方は適当です。
軍隊には大抵の事に細かい規定があるので、麻のリュックの収納の仕方にもきっと規定があるはずですが(実際、馬革の背嚢には非常に細かい収納に関する規定があります)、今のところ遭遇できていません。
そのうち、行軍装備をちゃんと付けた1個分隊もしくはそれ以上で、まとまった距離を徒歩行軍し着いた先で野営をする・・・そんなイベントもやってみたいものです。
*写真のバックは人様の米軍戦後テントなのですが、ドイツ軍も似た形状の物を使用している写真があるので、違和感をあまり感じません。
2010年09月09日
ドイツ軍装備のスグレ物資料本。

『Deutsche Soldaten』(ドイツの兵士たち)。
Amazonで購入しました。一昔前だとこういう洋書は専門店で購入するしかなく高価でしたが、Amazonのおかげでかなり買いやすくなりました。
ハードカバーで300ページ以上のほぼオールカラー。
ドイツ陸軍兵士の使用した被服・装備・日用品など全般を、現存する実物の鮮明な写真で紹介しています。
ただ、各種バリエーションを網羅してるわけではなく、著者のコレクションの範囲がそのまま、本がカバーしている範囲となっているようです。
ですので、やけに詳しいジャンル(ガスマスクやカメラ、日用品)と軽く触れただけみたいなジャンル(ヘルムや被服)の差が結構激しいです。
まぁ、ヘルムや被服はそれだけを扱った本があるので、良いだろうという事なのでしょう。
個人的にはアドラー胸章の変遷が年代順に紹介されていてとても参考になりました。
特筆すべきは、コレクションの状態の良さですね。
コンディションの良さは感動的ですらあるので、眺めているだけで目の保養になります(笑)。
雑のうのや野戦服のポケットに何を入れようか考え始めた、ドイツ軍好きが高じ始めた方であれば、買って損はない良い資料と思います。
2010年09月08日
『アインプロージット』

ドイツ軍装での野営は実に楽しいものです。
テントを張って寝床を確保したり、火を起こしたり、夕食を仕込んだりしたその後、待ちに待ったこの瞬間がやって来ます。
「プロースト!」(乾杯!)
我々みたいなのはドイツ軍装を身に着けてるだけで楽しくなってしまうんですが、お酒が入るとなお一層楽しく、一度味わうとヤメられなくなってしまう世界ですね(笑)。
そんな「乾杯」の時に歌えると良いのがこの歌です。ビールのCMで耳馴染みですよね。
Ein Prosit, Ein Prosit,
der Gemutlichkeit.
Ein Prosit, Ein Prosit,
der Gemutlichkeit.
eins, zwei, drei, g'suffa! (Prost!)
アイン プロ〜ジット アイン プロ〜ジット
デァゲミュ〜トリッヒカ〜イト
アイン プロ〜ジット アイン プロ〜〜ジット
デァゲミュ〜トリ〜ッヒカ〜イト
(掛け声)アイ〜ンス、ツヴァ〜イ、ドラ〜イ、グーズッファーッ!(プロースト!)
この歌は、『Durst Polka』(のどが渇くポルカ)、『Gemutlichkeit』(ゲミュートリッヒカイト)、『Ein Prosit』(乾杯の歌)など色々なタイトルで呼ばれているようです。
歌詞の内容は「さあ祝杯だ!祝杯だ!この心地良いひとときに!1、2、3、それっ!(カンパーイ!)」みたいな事のようですね。
ドイツ語の「乾杯」にはいくつかあるようで・・・
プロースト:最も一般的な「乾杯」。フランクな感じ。
プロージット:おめでとう、健康を祝してみたいなニュアンスの「乾杯」。
ツムヴォール:あらたまった席での「乾杯」。目上に対して使うようなので上官には「ツムヴォール!」と言うとポイント高いです(笑)。
*写真はサムズミリタリ屋さん主催の「ウインターフロント」にて。写真を撮ってくださった方、有り難うございました。
2010年09月07日
WW2ドイツ軍軍装でのスキー訓練。

今年の春先に、ドイツ軍の軍装でスキー訓練を行なうと言う素敵なイベントに参加した時の1枚。列の奥から2番めが自分です。
写真を撮っている兵士があと一人がいるので、後期の1個分隊8人の兵下士官が揃いました。陸軍とSSの混成になってますが。
スキー教官をやってくださった将校役の方は、資格をお持ちの本物の教官です。
自分、一応スキー経験者なのですが、筋持久力がまるで落ちていて、すぐにヘロヘロになってしまいました。
次のシーズン以降も是非この企画には参加したいのですが、事前に多少トレーニングをしておかないとイカンなぁと思っています。
・・・と言うか、今からやっておかないとマズいな(汗)。
2010年09月06日
『Uボート』

言わずもがなのドイツ製戦争映画(ドラマ)の金字塔『Uボート』のサウンドトラック。
LP盤を持っているのですが、実家にあるし、レコードプレーヤーで聴くのも一大事になるので、AmazonでCDを購入。
LP盤より曲数が増えたそうで、全部で30曲。
軍歌の系統は残念ながらサウンドトラックには入っていませんが(『ムシデン』は入ってますが軍楽隊の演奏のみなので)、劇中では酒場のシーンで『ヴェスター・ヴァルト・リート』が歌われてたりします。
特に印象深いのが、Uボート艦内でレコードに合わせて合唱される、イギリスの戦時歌謡『ティパレリー・ソング』です。
艦長が、生真面目な先任士官に向かって「歌程度で忠誠心に影響はなかろう」みたい事を、ニヤリと笑って言い放つのですよね。
以下は、Uボート乗組員たちが合唱するサビの部分。
It's a long way to Tipperary,
It's a long way to go.
It's a long way to Tipperary
To the sweetest girl I know!
Goodbye, Piccadilly,
Farewell, Leicester Square!
It's a long long way to Tipperary,
But my heart's right there.
以前千葉のヴィレッジ1において行なわれたバカラチオン作戦2の前夜祭で、酔っぱらった自分がこのサビを歌い出すと他の数人の参加者も合わせて歌い出し、いい感じの合唱となりました。
あらためてお聞きはしなかったけれど、全員『Uボート』が好きなんだろうなぁと思いました。
またウインターフロントあたりで合唱したいものです♪
2010年09月05日
手記『ビゾリーの戦い』その3
続きです。

*8センチ迫撃砲を撃つ、ヘルムートSS上等兵率いる第3分隊「エルベ・ドライ」。この作戦時、重火器中隊より火力増強のため分遣されていた。右端の兵士は機関銃の予備銃身を背負っている。エルベ・ドライは機関銃も装備していたのだ。カラー写真のおかげで、武装SSが採用していたの迷彩衣類の効果の程がわかる。
我が第1分隊「エルベ・アインス」は事前の打ち合わせ通り、殿(しんがり)を務めた。
後退の手順はこうだ。
まず、動きが鈍いが大火力の機関銃班を後退させ、残りがその援護をする。
後退した機関銃の援護のもと、残りの分隊員が機関銃の位置まで後退して展開する。
この繰り返しだ。
機銃手アルベルトの位置取りが絶妙だったおかげで、米兵は角を曲がる度に機銃掃射を受けねばならなかった。
遺棄された装甲車に取り付くと、副分隊長のヴォルフガングSS一等兵がそばに寄り添ってくれていた。
ああ、最高の分隊員たち!俺は恵まれている!
俺たちが821号線上の小さな橋にたどり着いた時、中隊は橋を渡り終えて対岸に展開していた。
味方の8センチ迫撃砲だろうか、米軍の周辺に次々と着弾し始めたのだが、敵との距離が近い我々も伏せねばならなかった。
迫撃砲を持つ重火器分隊「エルベ・ドライ」はとびきりの男前、ヘルムートSS上等兵が率いていた。
以前、国防軍砲兵隊にいたと言う彼の腕前には定評があったから、おそらくギリギリの線を狙って我々を援護してくれているのだろう。
さて、潮時だ。
何かのタンクに隠れている米軍に、駄賃代わりの機銃掃射をお見舞いしてから、まず機関銃班に橋を渡らせた。
機関銃班の安全を確認して、残り全員で一目散に橋を渡った。
この時ばかりは、後ろを振り向く余裕はなかった。
敵の攻勢は勢いを失った。
危険な殿を務めた我が分隊に死傷者はなし。
作戦終了後、分隊員たちは全員某かの叙勲を受ける事となった。
〜第26SS擲弾兵連隊第2大隊 SS下級小隊指揮官エルンスト・ハントの手記より抜粋〜

*作戦後の叙勲式の様子。中央付近に姿勢良く立つ衛生兵はハンフェルトSS二等兵(当時)。彼はその後、中隊長の命を救った事で1級鉄十字章を授与されている。
(写真やリエナクト用の地図を使わせて頂きました。ありがとうございました。)
*8センチ迫撃砲を撃つ、ヘルムートSS上等兵率いる第3分隊「エルベ・ドライ」。この作戦時、重火器中隊より火力増強のため分遣されていた。右端の兵士は機関銃の予備銃身を背負っている。エルベ・ドライは機関銃も装備していたのだ。カラー写真のおかげで、武装SSが採用していたの迷彩衣類の効果の程がわかる。
我が第1分隊「エルベ・アインス」は事前の打ち合わせ通り、殿(しんがり)を務めた。
後退の手順はこうだ。
まず、動きが鈍いが大火力の機関銃班を後退させ、残りがその援護をする。
後退した機関銃の援護のもと、残りの分隊員が機関銃の位置まで後退して展開する。
この繰り返しだ。
機銃手アルベルトの位置取りが絶妙だったおかげで、米兵は角を曲がる度に機銃掃射を受けねばならなかった。
遺棄された装甲車に取り付くと、副分隊長のヴォルフガングSS一等兵がそばに寄り添ってくれていた。
ああ、最高の分隊員たち!俺は恵まれている!
俺たちが821号線上の小さな橋にたどり着いた時、中隊は橋を渡り終えて対岸に展開していた。
味方の8センチ迫撃砲だろうか、米軍の周辺に次々と着弾し始めたのだが、敵との距離が近い我々も伏せねばならなかった。
迫撃砲を持つ重火器分隊「エルベ・ドライ」はとびきりの男前、ヘルムートSS上等兵が率いていた。
以前、国防軍砲兵隊にいたと言う彼の腕前には定評があったから、おそらくギリギリの線を狙って我々を援護してくれているのだろう。
さて、潮時だ。
何かのタンクに隠れている米軍に、駄賃代わりの機銃掃射をお見舞いしてから、まず機関銃班に橋を渡らせた。
機関銃班の安全を確認して、残り全員で一目散に橋を渡った。
この時ばかりは、後ろを振り向く余裕はなかった。
敵の攻勢は勢いを失った。
危険な殿を務めた我が分隊に死傷者はなし。
作戦終了後、分隊員たちは全員某かの叙勲を受ける事となった。
〜第26SS擲弾兵連隊第2大隊 SS下級小隊指揮官エルンスト・ハントの手記より抜粋〜
*作戦後の叙勲式の様子。中央付近に姿勢良く立つ衛生兵はハンフェルトSS二等兵(当時)。彼はその後、中隊長の命を救った事で1級鉄十字章を授与されている。
(写真やリエナクト用の地図を使わせて頂きました。ありがとうございました。)
2010年09月04日
手記『ビゾリーの戦い』その2
続きです。

*第1分隊「エルベ・アインス」の面々。分隊長と副分隊長は、ウール野戦服の上にM44迷彩服を着用。他の隊員は迷彩スモックを着用している。
森の外縁を注視して数分が経過、動きはない・・・。
俺の頭の中にひらめくものがあった。
中隊長の元に走った。
敵発見の状況を報告、さらに敵が北側に回り込んでくる可能性があると付け加えた。
中隊長の許可を得て、ビゾリ−北端に単独で走った。
北に延びる874号線を観察できる地点で待つ。
そして、街道を右から左に横切る敵影を発見!
2名、3名・・・分隊規模か?いや、もっと多いに違いない。
「アッラ〜ムッ!!」、再び絶叫した。
すぐに分隊員が駆けつけて来た。
民家の前に土盛りがあって、絶好の迎撃地点になった。
「マシーネンゲヴェール、クラールハルテン!」(機関銃、用意!)
土盛りに沿って展開すると、移動する米軍に向かって機銃掃射を開始。
さらに第2分隊「エルベ・ツヴァイ」も増援にやって来た。
その命令を出したであろう中隊長に心の中で感謝した。
この時点で敵は奇襲のチャンスを完全に失った!
さらに左に移動する敵影を確認。
迂回攻撃をするつもりなのだろうが、こちらに好都合な事に左手には大きな池があった。
つまり、最大限回り込んでも9時の方向からという事だ。
こちらからは十分見渡せる位置だ。
10時の方向、木立の間から米兵がわらわらと現れた。
短機関銃を発射したが、ションベン弾なので敵は倒れない。
しかし機先を制する事には成功したみたいだ。
その時伝令が走って来て中隊長からの命令を伝えた。
「戦闘を継続しながら後退せよ!」
まだまだ余裕があったが、余裕のあるうちに後退しなければ、タイミングを失う事になる。
まず第2分隊が後退した。 <つづく>

*ビゾリー周辺の地図の一部。当初ビゾリーの東側に表れた敵は、北に回り込み874号線を越えた。ドイツ軍の予定した撤退路は821号線をフォアに向かうルート。(この地図はリエナクトメント用の物であり、実在のビゾリーとは異なります。)
*第1分隊「エルベ・アインス」の面々。分隊長と副分隊長は、ウール野戦服の上にM44迷彩服を着用。他の隊員は迷彩スモックを着用している。
森の外縁を注視して数分が経過、動きはない・・・。
俺の頭の中にひらめくものがあった。
中隊長の元に走った。
敵発見の状況を報告、さらに敵が北側に回り込んでくる可能性があると付け加えた。
中隊長の許可を得て、ビゾリ−北端に単独で走った。
北に延びる874号線を観察できる地点で待つ。
そして、街道を右から左に横切る敵影を発見!
2名、3名・・・分隊規模か?いや、もっと多いに違いない。
「アッラ〜ムッ!!」、再び絶叫した。
すぐに分隊員が駆けつけて来た。
民家の前に土盛りがあって、絶好の迎撃地点になった。
「マシーネンゲヴェール、クラールハルテン!」(機関銃、用意!)
土盛りに沿って展開すると、移動する米軍に向かって機銃掃射を開始。
さらに第2分隊「エルベ・ツヴァイ」も増援にやって来た。
その命令を出したであろう中隊長に心の中で感謝した。
この時点で敵は奇襲のチャンスを完全に失った!
さらに左に移動する敵影を確認。
迂回攻撃をするつもりなのだろうが、こちらに好都合な事に左手には大きな池があった。
つまり、最大限回り込んでも9時の方向からという事だ。
こちらからは十分見渡せる位置だ。
10時の方向、木立の間から米兵がわらわらと現れた。
短機関銃を発射したが、ションベン弾なので敵は倒れない。
しかし機先を制する事には成功したみたいだ。
その時伝令が走って来て中隊長からの命令を伝えた。
「戦闘を継続しながら後退せよ!」
まだまだ余裕があったが、余裕のあるうちに後退しなければ、タイミングを失う事になる。
まず第2分隊が後退した。 <つづく>

*ビゾリー周辺の地図の一部。当初ビゾリーの東側に表れた敵は、北に回り込み874号線を越えた。ドイツ軍の予定した撤退路は821号線をフォアに向かうルート。(この地図はリエナクトメント用の物であり、実在のビゾリーとは異なります。)
2010年09月03日
手記『ビゾリーの戦い』その1
2006年にUSARさん主催で行なわれたリエナクトメント・イベント『ビゾリーの戦い』に参加した時の模様を、当時の手記風にお送りします。
ベルギーの小さな町ビゾリーは、バルジ戦における要衝の街バストーニュのすぐ近く北東に位置し、独米両軍による激しい争奪戦の場となりました。
我々ドイツ軍の設定はSS第12戦車師団「ヒトラーユーゲント」麾下(きか)第26装甲擲弾兵連隊第2大隊の一部であり、対するアメリカ軍は第101空挺師団506連隊第1大隊の一部。
1945年1月3日、バルジ戦も終盤に差し掛かろうとする頃を設定日時としています。

*ビゾリーに向け一列縦隊で行軍するWSS中隊。先頭は手記を綴った当人、SS下級小隊指揮官エルンスト・ハント。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その日、俺は冴えていた。実に冴えていた・・・。
ビゾリーという田舎町で昼食を採っていると、どこからかの情報が入った。
「ビゾリー東側の森に、敵の動きあり」と。
装備を整えると、森を観察出来る塹壕まで一人で行ってみる事にした。
右後方には我が分隊の機銃手アルベルトが陣取っているから心強い。
ウチの分隊の連中は、外見はやさ男だったり真面目な学生風だったりするのだが、皆肝が据わってて実に頼りになる男たちだ。
観察を続けてしばらくすると、果たして情報の正しさが証明された。
森の中に数名の敵影発見!「アッラ〜ム!!」、あらん限りの大声で叫んだ。
中隊が東の森を睨んで迎撃態勢をとる。
敵は野原を突っ切って、攻撃を仕掛けてくるつもりだろうか。
我々が対峙している米軍は降下猟兵の部隊らしいのだが、異常なほど勇敢だった。
機関銃の弾幕の中、真正面から突進してくるのだから。
我々SSでもあんな戦い方はしない。
戦闘の合間、誰かが言った。
「奴ら、イカレている。」
別の誰かが実に的を得た回答をした。
「そりゃそうさ。だって飛行機から飛び降りる連中だもの。」
森の外縁を注視して数分が経過、動きはない・・・。
俺の頭の中にひらめくものがあった。
中隊長の元に走った。 <つづく>

*出撃前に装備を整える分隊の面々。左より機銃手のアルベルトSS二等兵、副分隊長のヴォルフガングSS一等兵、分隊長のハントSS下級小隊指揮官。
ベルギーの小さな町ビゾリーは、バルジ戦における要衝の街バストーニュのすぐ近く北東に位置し、独米両軍による激しい争奪戦の場となりました。
我々ドイツ軍の設定はSS第12戦車師団「ヒトラーユーゲント」麾下(きか)第26装甲擲弾兵連隊第2大隊の一部であり、対するアメリカ軍は第101空挺師団506連隊第1大隊の一部。
1945年1月3日、バルジ戦も終盤に差し掛かろうとする頃を設定日時としています。

*ビゾリーに向け一列縦隊で行軍するWSS中隊。先頭は手記を綴った当人、SS下級小隊指揮官エルンスト・ハント。
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その日、俺は冴えていた。実に冴えていた・・・。
ビゾリーという田舎町で昼食を採っていると、どこからかの情報が入った。
「ビゾリー東側の森に、敵の動きあり」と。
装備を整えると、森を観察出来る塹壕まで一人で行ってみる事にした。
右後方には我が分隊の機銃手アルベルトが陣取っているから心強い。
ウチの分隊の連中は、外見はやさ男だったり真面目な学生風だったりするのだが、皆肝が据わってて実に頼りになる男たちだ。
観察を続けてしばらくすると、果たして情報の正しさが証明された。
森の中に数名の敵影発見!「アッラ〜ム!!」、あらん限りの大声で叫んだ。
中隊が東の森を睨んで迎撃態勢をとる。
敵は野原を突っ切って、攻撃を仕掛けてくるつもりだろうか。
我々が対峙している米軍は降下猟兵の部隊らしいのだが、異常なほど勇敢だった。
機関銃の弾幕の中、真正面から突進してくるのだから。
我々SSでもあんな戦い方はしない。
戦闘の合間、誰かが言った。
「奴ら、イカレている。」
別の誰かが実に的を得た回答をした。
「そりゃそうさ。だって飛行機から飛び降りる連中だもの。」
森の外縁を注視して数分が経過、動きはない・・・。
俺の頭の中にひらめくものがあった。
中隊長の元に走った。 <つづく>
*出撃前に装備を整える分隊の面々。左より機銃手のアルベルトSS二等兵、副分隊長のヴォルフガングSS一等兵、分隊長のハントSS下級小隊指揮官。
2010年09月02日
やっぱり塹壕が好き。
塹壕(ざんごう)、蛸壺(たこつぼ)、掩蔽壕(えんぺいごう)、トーチカ・・・大戦好きの人は皆これらの単語に激しく反応するんじゃないでしょうか。
自分は当然大好物でありますっ!(笑)

写真は石川県のカルミンフィールドの大塹壕で交戦中のドイツ軍です。
MG34を撃ちまくってるのは中部の戦友ハインさん、格好良いですね〜。
この大塹壕は谷を見下ろす高台にあって、銃眼や監視塔まで備えており、1個分隊規模を収容できる広さがあります。
数年前初めてお邪魔した時は、この陣地を守っても攻めても大変面白く、非常に興奮したのを憶えています。
現在でこそ、千葉のヴィレッジ1さんの巨大塹壕網などがありますが、当時は国内で唯一無二の存在だったのではないでしょうか。
・・・あ、もちろん自衛隊さんは除いて(笑)。

『Feldbefestigungen des deutschen Heeres 1939-1945』
Amazonで買いました。
「ドイツ陸軍の野戦防御施設」とでも訳しましょうか。
本の大半が当時の工兵マニュアルの転載です。
センチメートル単位の寸法入りの細密なイラストを使って、一人用の壕から対戦車壕などの大物まで、非常に多数の防御施設を紹介しています。
ドイツ語が読めなくても、ほとんど絵本感覚で楽しめました。
今度、イベントで塹壕を掘る機会があったら、教本通りの物に挑戦するぞと意気込んでいます♪
自分は当然大好物でありますっ!(笑)
写真は石川県のカルミンフィールドの大塹壕で交戦中のドイツ軍です。
MG34を撃ちまくってるのは中部の戦友ハインさん、格好良いですね〜。
この大塹壕は谷を見下ろす高台にあって、銃眼や監視塔まで備えており、1個分隊規模を収容できる広さがあります。
数年前初めてお邪魔した時は、この陣地を守っても攻めても大変面白く、非常に興奮したのを憶えています。
現在でこそ、千葉のヴィレッジ1さんの巨大塹壕網などがありますが、当時は国内で唯一無二の存在だったのではないでしょうか。
・・・あ、もちろん自衛隊さんは除いて(笑)。

『Feldbefestigungen des deutschen Heeres 1939-1945』
Amazonで買いました。
「ドイツ陸軍の野戦防御施設」とでも訳しましょうか。
本の大半が当時の工兵マニュアルの転載です。
センチメートル単位の寸法入りの細密なイラストを使って、一人用の壕から対戦車壕などの大物まで、非常に多数の防御施設を紹介しています。
ドイツ語が読めなくても、ほとんど絵本感覚で楽しめました。
今度、イベントで塹壕を掘る機会があったら、教本通りの物に挑戦するぞと意気込んでいます♪
2010年09月01日
M36型野戦服。
9月に入りましたが、当分は暑そうですね〜。
今月下旬でもある程度の暑さは覚悟しなければならないかも知れませんが、26日のヴィクトリー・ショーには久々に軍装で参加しようかと考え中です。
今年2月を最後にドイツ軍の格好をしてないので、ちょっと禁断症状気味なのです(笑)。

STURM(シュトゥルム)社製のM36野戦服です。
アメリカのショップ、AT THE FRONT(以下ATF)から購入しました。
中田商店さんではサイズが最小でも48なのに対して、ATFにはなぜか46があったので取り寄せました。
陸軍襟章(ドッペル・リッツェン)とGD下士官肩章(シュルター・クラッペ)、GDカフタイトルは同じくATFより。
下士官トレッセ、アドラー胸章、2鉄リボンはシュミット&ゾーンさんより。
クラーゲンビンデ(襟布、えりふ)はモーリーさん製作の物。
ベルトフックおよび内装サスペンダーはカメラード製野戦服に付属の物で、ボタンは全て実物に交換しました。
ホイッスルランヤードと戦傷章黒は実物として購入したもので、歩兵突撃章銀はレプリカです。
Vショーでは、このM36にシュミットさんのM43規格帽を合わせようかと思っています。
会場で見かけたら、どうかよろしくお願い致します♪
今月下旬でもある程度の暑さは覚悟しなければならないかも知れませんが、26日のヴィクトリー・ショーには久々に軍装で参加しようかと考え中です。
今年2月を最後にドイツ軍の格好をしてないので、ちょっと禁断症状気味なのです(笑)。
STURM(シュトゥルム)社製のM36野戦服です。
アメリカのショップ、AT THE FRONT(以下ATF)から購入しました。
中田商店さんではサイズが最小でも48なのに対して、ATFにはなぜか46があったので取り寄せました。
陸軍襟章(ドッペル・リッツェン)とGD下士官肩章(シュルター・クラッペ)、GDカフタイトルは同じくATFより。
下士官トレッセ、アドラー胸章、2鉄リボンはシュミット&ゾーンさんより。
クラーゲンビンデ(襟布、えりふ)はモーリーさん製作の物。
ベルトフックおよび内装サスペンダーはカメラード製野戦服に付属の物で、ボタンは全て実物に交換しました。
ホイッスルランヤードと戦傷章黒は実物として購入したもので、歩兵突撃章銀はレプリカです。
Vショーでは、このM36にシュミットさんのM43規格帽を合わせようかと思っています。
会場で見かけたら、どうかよろしくお願い致します♪